2012年4月6日金曜日

女性篇  「医者が患者をだますとき」より 2 賢い女性が身を守る


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  第8章  多すぎる手術、危ない手術

 「手術をしないと大変なことになります」

 アメリカで暮らしている女性にとって、医者に臓器をいじくりまわされることなく健やかに老齢を迎えられる確率はかなり低い。手術の施行数は年々着実に増加する傾向にあり、すでに年間二〇〇〇万例を超えている。そして、その首位の座についているのが、女性だけを対象にした手術である。
 女性におこなわれているすべての手術が健康増進に役立つというのであれば、現代医学は喝宋を浴びるに催するだろう。だが、不幸にして実際はそうではない。アメリカの外科医はイギリスの外科医にくらべて二倍も多く手術をおこなっているが、治療の効果がそれだけ際立� �ているわけではない。手術のしすぎでアメリカ人女性が世界に誇れるものがあるとすれば、世界一多い手術痕くらいのものだろう。

 

 手術禍の負担は男女平等ではない。もっとも頻繁におこなわれている一〇種類の手術の半分、施行数にして半数以上は産婦人科の手術なのだ。
 医学界は世間の人びとに、あらゆる高額医療を受けられるアメリカ人女性は幸運であるかのような幻想を抱かせている。医者が本当に必要なときにだけ手術をするのであれば、その言い分にも正当性が認められるだろう。しかしながら、手術の必要性があるのは、患者ではなく、手術を生業としている医者のほうだ、というのが実情なのだ。

 スタンフォード大学の研究員ジョン・バンカー博士は、 (中略)
「救命と延命の� ��めにおこなわれている手術は、せいぜい全体の二割程度しかない。残りは生活の質を向上させるという名目でおこなわれているが、手術の結果についての系統立ったデータはどこにもない」

 言い換えれば、全手術のうち八割までが、医者が「手術をすればよくなります」と言うから患者が同意しているのであって、それには実質的な根拠がない、ということだ。この範疇に入る年間一六〇〇万例以上もの手術の意義について、世間の人びとは、メスを握る医者に問いただしてみるべきではなかろうか。

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  手術で非業の死をとげないために

 女性が不要な手術の犠牲になっている原因は、手術を生業としている医者が必要以上に多すぎることである。国内の二つの外科学会が� �こなった調査によると、アメリカには二万二〇〇〇人もの外科医が余剰人員となっており、その数は年々ますます増えるばかりだという。したがって、人びとが人生のある時点でメスを握る医者の合法的な生業の犠牲になる可能性はかなり高く、しかも、その確率はますます高くなる一方である。
 不要な手術の犠牲になる危険性をできるかぎり回避するための方法をいくつか指摘しておこう。

 一、医者に十分に問いただすまでは、手術が必要だとか有益だと思ってはいけない。

 アメリカではおびただしい数の不要な手術が毎年おこなわれているが、これは現代医学の汚点である。手術の施行数は地域によって異なるが、その差が医学的な必要性ではなく、手術をおこなつて生計を立てる必要性に迫られた医者の数� ��稼働させる必要のあるベッドの数に密接なつながりがあることは、いくつもの研究で明らかにされている。

 (中略)

 経済的動機が手術の施行数に影響を与えることをもっとはっきり示す例がある。ある大手の医療保険会社が、有用性のないことが判明している二八種類の手術の診療報酬の支払いを拒否する決定をしたとき、医者は保険が適用されなくなった手術の正当性を患者に説明しづらくなった。すると、一夜にしてそれらの手術の施行数は七五パーセントも下がったのである。

 (中略)

 国民医療費の高騰を懸念した議会の委員会が、アメリカ国内における不要な手術を調査した。報告書によると、年間ほぼ二四〇万例もの不要な手術がおこなわれていることが判明した

これは半端な数� �はない。毎年二四〇万人もの人びとが必要もないのにメスで体を切り刻まれることを想像してみるといい。(中略)
意味のない手術が多くの世帯の貯蓄残高を食いつぶして破産か借金地獄に追いこんでいることは間違いない。ただし、手術料を払って生き残った人たちは 納まだ運がいいほうだと言える。なにしろ、手術料を払って命を落とした人が約一万二〇〇〇人もいるのだ。              

 不要な手術による悲劇を別の角度から考えてみよう。アメリカでは年間一万五〇〇〇人が刃物のために非業の死を遂げている。そのうち三〇〇〇人は殺人者が握るナイフが原因で、残りの一万二〇〇○人は医者が握るメスが原因で死亡しているのだ。

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  手術にともなう医療ミ� ��の数々

 二、手術の腕を磨こうとしている医者が「この手術はリスクがたいへん小さいですから絶対に安全です」と言っても信じてはいけない。

 その場合、手術を拒否することが唯一のまったく安全な選択肢である。どの外科的処置にも命を落とす危険が伴う。
もっとも明らかな手術のリスクは、執刀医の手元が狂ってメスが違う箇所を切ったり、器具を体内に残したまま縫合したりすることである。どちらも医療訴訟に発展しやすい。長さ七〇センチもあるタオルが体内に残留していたという信じられない事例すらある。ちなみに、そのタオルには・・(略)


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 (中略)
 手術ミスのほかにも、患者の取り違えによって別の手術を受けてしまう可能性もあるが、それ以外の大きな危険は、麻酔によって起こりうる事故である。
具体的には、アナフィラキシーショック、けいれん、おう吐の際の窒息、心停止などを引き起こすことによって死亡することだ。そのほかにも、呼吸器系、循環器系、腎臓、脳の機能を阻害するおそれがある。麻酔は三〇〇〇例の手術につき約一例の確率で死亡事故を引き起こす要因になっている。アメリカで一年間におこなわれている手術は二〇〇〇万例を超えているから、年間約七〇〇〇人が麻酔による医療事故で死んでいる計算になる

 輸血に伴う術中・術後のミスと 合併症は、年間約二五〇〇人の死者を出している。輸血による肝炎の危険性はかなり高いから、血液提供者が誰なのかを聞いておく必要がある。

 最後に、どの手術にも術後の合併症・後遺症という危険が伴うから、それが原因で命を落とすことがある。たとえ死に至らなくても、肺炎、血餅、感染症、出血などのために死ぬまで苦しみつづけることもある。

 死亡率は手術の種類によって大きく異なるから、どんな手術でも、それを受ける前に死亡率がどの程度かを敢えてもらうべきだ。たとえば腹式子宮摘出手術による死亡率は約一パーセントである。もし婦人科医が「手術台の上で死ぬ確率は一パーセント程度ですから安心してください」などと言ってきたら、こう問い返すべきだろう。「もしわたしがその一パ� ��セントに該当するような事態になったなら、誰がわたしの子どもの面倒を見るのですか」と。

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  医者を信頼する前に

 三、執刀医が自信にあふれたそぶりを見せても、だまされてはいけない。

 自信にあふれたそぶりを見せることは、医学部で教えられることの一つである。自信満々であるかのように振る舞えば、自分の不安を覆い隠し、患者をおじけづかせることができる。医学生のなかには、ほかのことはともかく、これだけはしっかり学ぶ著すらいるほどだ。

 執刀医の技術は誰にも測定できないのだから、手術の腕が格別によくなくても関係ない。自信にあふれた執刀医を演じさえすれば、世間の評判が上がって繁盛する。高級住宅街でスペシャリスト≠自称� ��て活躍している医者などはとくにそうだ。彼らの手術の腕と預金残高は反比例の関係にあるのではないかとわたしは思っているのだが、それを証明する方法はまだ思いつかない。

 四、医者から「病院のベッドでゆったりくつろいだ気分で入院できます」と言われても信じてはいけない。

 わたしは長年にわたって病院に勤務してきたから、病院というものが、一見、無菌地帯のようでも、実際はこの世で細菌がもっとも多く繁殖している所であることを知っている。入院患者は院内で細菌に冒されることが多く、医者はその現象を「院内感染」と呼んでいる。医者はこの医学用語のおかげで、患者が家にいれば病気にならなかったことには直接ふれずに、病院でかかった新たな 病気を指摘できるようになった。また、清潔そうな白衣が世間の人びとに与える印象とは裏腹に、病院はそれほど能率よく運営されているわけではない。唯一の例外は事務室だ。しかし、それ以外の部分はかなり非能率である。いつも能率よくビジネスがおこなわれている。
 しかし、それ以外の部分はかなり非能率である。たとえば、病院では洗濯物をぞんざいに扱う傾向があり、無菌のように見える白衣でも細菌の巣窟になつていることがよくある。しかも、並の細菌ではない。病院には細菌学者たちが研究対象に一生困らないだけの細菌がひしめいている。

 問題は白衣だけではない。白衣を着用している人間にも問題がある。入院中に生死にかかわるような事態に直面しているとき、尊大な人物がもったいぶってベッドサ� ��ドにやってきたからといって緊急事態から脱したと安心してはいけない。たとえその人物が胸のあたりに身分証明書を付け、首に聴診器を巻いていても、である。その人物は医学生かもしれないし、研修医かもしれない。彼らは二、三日ほとんど眠っていないことがある。その人物はどうしていいかわからず、もし自分が当直をしている時間帯に患者が死んだらどうしようと内心びくついていても、顔には出さない。待機している当直医の経験不足は往々にして命取りになる。もちろん、命を取られるのは患者のほうである。
 

白衣をまとい、聴診器を首に巻きつけ、カルテを手にしている人物を見ると、ほとんどの患者は医者だと思うようだが、それは勘違いであることが多い。医学生は「先生 (ドクター)」と呼ばれると� �「いいえ、わたしはまだ医者ではありません」とは言わない。「先生」という言葉は、医学生の耳に心地よい響きがあるからだ。しかし実際には、医学生と研修医は病院の下働きなのである。彼らは無償か低賃金で苛酷な長時間労働を強いられており、その代わり、おぼつかない技術を患者相手に磨く特権を与えられている。

 研修医は患者を犠牲にしながら経験を積み、技術を習得する。ある意味で彼らは医学生よりも危険な存在かもしれない。たとえば外科の研修医であれば、専門医として認定されるために一定のノルマを達成しなければならない。しかし、彼らの大多数は男性であるから、帝王切開や子宮摘出手術を互いに練習台になっておこなうわけにはいかない。さまざまな手術のノルマを全部こなしていない研� ��医は、練習台になってくれそうな患者が見つかると、患者をうまく言いくるめてなんとか手術を受けさせようとする。


あなたの断言を使用しているユーザーを達することができますか?

 入院患者が病院でもっとも親しくなるのは看護婦だろう。彼女たちは男性の医療スタッフからこき使われているが、苛酷な労働環境の下でも最善を尽くそうと努力している。医者の粗雑な仕事ぶりの尻ぬぐいをする看護婦がいなければ、入院患者の死亡率は激増することだろう。
しかしながら、彼女たちがいかに善良で有能であったとしても、職場でのいやがらせや過労が災いしてミスを犯すことがしばしばある。医者の場合とまったく同じで、彼女たちの一人でもミスを犯せば、患者は帰らぬ人となりかねない。

 新生児集中治療室で働く二七人の看護婦を対象に、シンシナティ大学がいくつかのテストをおこなった� ��その目的は、看護婦たちが担当の新生児に適切な投薬量を計算できているかどうかを調べることだった。その結果、正答率は半分以下、しかも、投薬量の誤差の度合いが単位を一桁間違えて一〇倍という場合すらあった。薬によっては、もし実際に投与されていたなら過剰投与によって新生児を薬殺していたかもしれない致命的なミスもいくつかあった。同じテストを受けた研修医とその面倒を見ている指導医の成績もたいして変わらなかった。一体、患者は病院の誰を信頼すればいいのだろうか。

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   医療ミスで死んでいく患者たち

 五、医者は十分に訓練を積んでいる良心的な人物だからミスを絶対に犯さない、などと思ってはいけない。

 医学部に入学するには高い� �力が必要で、さらに医学博士の学位を取得するには何年も厳しい教育と訓練を受けなければならない。世間の人びとはこのことに目を奪われるあまり、医者がミスを犯すはずはないと思い込んでいるようだ。
 
アメリカ外科学会とアメリカ手術学会にしては珍しく、所属している専門医たちの医療行為の実態を三年間にわたって調査した。対象となったのは、七つの州の九五の病院で術中・術後に合併症を起こしたほぼ一五〇〇人の患者である。調査の結果、手術による死亡の三分の一と合併症のほぼ半数は防げたこと、しかも、防げたはずの合併症の七八パーセントが執刀医のミスが原因で、その半数が技術に欠陥があったことが明らかになった。
             
 *訳注

 二〇〇一年二月六日、二一の国立大病院を対象にした全国大学高専教職貞組合の調査で、看護婦(士)の九三パーセントがあわや医療事故というミスやニアミスを経験していることが明らかになった。

 (中略)

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 必要のない手術に感謝する必要はない

 六、外科医はリスクや害の少ない治療法をあれこれ検討した末に最後の手段として手術を勧めている、などと思い込んではいけない

 外科医は手術をする訓練を受けてきた人間であって、手術を避ける訓練は受けたことがない。十九世紀の医者で詩人でもあったオリバー・ウエンデル・ホームズ博士は、「喜び、節制、休養。これらの条件がそろえば医者はいらない」という名言を残しているが、そんな考え方は外科医にはほとんど通用しない。

 多くの場合、時間をかければ病気やけがは自然治癒し、医療処置などはほとんど不要である。
外科医は手術が選択肢の一つであって、健康的な食 生活や十分 な休養、適度な運動といった生活習慣が手術と同じくらいかそれ以上によい結果をもたらす可能性があるということを考慮しない。
 これは当然と言えば当然である。外科医は野菜や果物、マットレス、ジョギングシューズを売って生計を立てているわけではない。彼らは手術が意義あるものと信じ込んでいるし、手術をするのが好きだし、生活の糧を得るために手術をする必要があるし、もっともらしい理屈が見つかれば必ず手術をするように教育されてきたのだ。

 七、開腹手術を受けて体の内部の一部を切り取りさえすれば健康を取り戻せる、などと思ってはいけない。

 執刀医は事前に教えてくれないだろうが、手術が人体に及ぼす長期的影響は病気よりもひどいことがよくある。執� �医が手術の前にバラ色の夢を約束することはありえないから、患者は手術のあとで「話が違うではありませんか」とは言えない。

 たとえば子宮摘出手術であれば、婦人科医が請け負った仕事は子宮の摘出である。予期せぬ ボーナス≠ニして卵巣と卵管まで摘出することがあるが、その場合、患者は「先生、ありがとうございました」と言って感謝することがよくある。

 執刀医からすると、自分のおこなった医療処置が患者の将来にどのような影響を与えようと知ったことではない
医学部では、患者の将来のことまで心配するようにとは教わらないのだ。手術料と引き換えに請け負ったことをするのが執刀医の仕事であり、彼らは患者が病院から生還すれば手術が「成功」したことを誇りに思うのだ。

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 自然の摂理を無視した手術

 外科医は、神が人体を創造したときに過ちを犯したと信じ込んで手術をしすぎている。

わたしは医者になってこのかた、その実態をたびたび目の当たりにしてきた。神の犯した過ちを正す外科医がこの世の中に数多く存在することを、患者は神の思し召し≠ニ思わなければならないのだろうか。
 (中略)
ここでは虫垂切除術(盲腸の手術) について警告しておきたい。実は、この手術は男性よりも女性におこなわれることのほうがはるかに多いのである。

 感染症の疑いがないにもかかわらず、ほとんどの外科医は虫垂を神の犯した過ちと決めつけ、誰にも非難されずに切除する。しかし、外科医の主張を正当化する根拠はどこ にもない。外科医が女性患者に「虫垂は役に立たない退化した臓器です」と説明しているのを、わたしは何度耳にしたかわからない。外科医は虫垂を「神の残した生理的ゴミくず」とでも思っているのだろうか。


衝動のコントロールを持つ子どもを処理する方法

最近ではアメリカにおける虫垂切除の施行数は年間@@が死亡している。ほとんどの場合、虫垂切除術は「緊急手術」として扱われ、虫垂が破裂して腹膜炎を起こすのを防ぐ目的でおこなわれているが、切除された虫垂の四つに一つが完全に正常であったことが病理組織診断で判明している。

したがって、外科医は四分の一の確率で過ちを犯していることになる。

外科医はそのことを正当化するために、虫垂が破裂するまで待って死亡率を高めるよりも正常虫垂をあらかじめ摘出しておくほうが安全だという理屈をこねる。

なかには、「虫垂は将来的に感染症に冒されるおそれがありますから、後顧の憂いを残さないためにも予防� �処置として切除しておくことをお勧めします」などと言う外科医すらいる。

 わたしの判断では、これは愚劣とまでは言わないがかなり無責任な診断である。統計によると、虫垂炎を起こす人の割合はおよそ一二人に一人、死亡率は虫垂が穿孔を起こすかどうかによって異なり、起こす場合(穿孔性虫垂炎)では二パーセント、起こさない場合では一パーセントである。したがって、虫垂炎で死亡する人の割合はおよそ一二〇〇人に一人か、穿孔性虫垂炎の場合で六〇〇人に一人ということになる。

一方、虫垂切除術を受けて死亡する人の割合は二六〇人に一人だから、「予防的処置としての手術」はまったく割に合わない。
これではまるで、「この木はいつか枯れてしまうおそれがありますから、あらかじめ切ってお� �必要があります」と言って、庭に生えている立派な木をばっさりと切り倒してしまうようなものである。

 手術そのものの危険のほかに、「役に立たない」虫垂を切除することが人体にどのような影響を及ぼすのだろうか。それはわたしにもわからないし、どの外科医にもわからない。
それを解明しようとする研究がほとんどおこなわれていないからだ。しかし、ある著名な研究者は、虫垂を切除すると二倍の確率で大腸がんになりやすいことを指摘し、体があらゆる病気に対して抵抗力を発揮するうえで虫垂が重要な役割を果たしている可能性があると結論づけている。

 わたしは以上の理由から、予防的処置として手術をするという考え方に疑問を感じる。世間の人びとも疑問を感じるべき� ��と思う。医者の間で「ついでの虫垂切除術」と呼ばれている手術の犠牲になりやすいのは男性よりも女性である。膣式子宮摘出手術と違って腹式子宮摘出手術では、執刀医が腹壁を切開したついでに虫垂も切り取っておこうと考え、その思いつきを実行することがよくあるのだ。

 他の手術の際にも正常虫垂を摘出する医者はおおぜいいる。このことに興味を抱いたある研究者によると、そういう医者の動機は登山家とは違って「そこにあるからだ」というだけではないらしい。調査の対象となったのは、外科と産婦人科の研修を担当する指導医たちで、ついでの虫垂切除術に対する彼らの姿勢を見極めることを目的としておこなわれた。
 その結果、彼らの実に六割以上が、「子宮摘出手術の際には虫垂もあわせて切除しなさ� �」と指導していることがわかった。また、外科の指導医だけでみると、彼らの半数以上が他の開腹手術をする際にも「ついでの虫垂切除術」を勧めているのだ。将来メスを握る医者を育成しているのは指導医である。(中略)
現場の医者はそれまでに教わったことを実行しているにすぎないのだ。

 やり方がわかっている手術であれば、機会があるたびにすぐにしたがる。それがアメリカの手術の特徴の一つである。その原因を理解するには、世のため人のために仁術をおこなっているかのような見せかけに惑わされることなく、医者にメスを握らせる独善的で冷淡で非情な医学教育の過程を探らなければならない。

 わたしは医学部で教鞭をとっていたころ、男女を問わず若い医学 生たちが医学博士の学位を取得する過程で変貌していくのを目の当たりにして、やりきれない気分になることがよくあった。どの学生も医学部予科に入ってくるときは、絶えず不安に襲われてはいるものの熱烈な理想主義者である。ところが、年月を経るにつれて、医者に共通する性格的な特徴である恐怖心のために崇高な感性がむしばまれていく。恐怖心といっても、医者になってからしなければならない他人の血を見る重労働に対する恐怖心ではない。そのような重労働をする機会が自分に巡ってこないのではないかという恐怖心である。

 医学部予科生は、医学部の競争率が五〇倍から六〇倍もあり、もっとも競争心が旺盛で無節操な連中が生き残りやすいことを知っている。まもなく彼らは競争で勝ち残るには、医学界の利 益に奉仕するための、弁明の余地のない、旧態依然とした学説に満ちたカリキュラムへの盲従を誓うこと、可能であればカンニングなどの不正行為をすること、必要であればクラスメートを蹴落とすこと、機会が訪れたときは医局の先輩たちに媚びへつらうことなどが必要であると学ぶ。

 
 それ以外にも、外科の研修医の場合、指導医の手伝いをしながら、取り返しのつかないとんでもないことを学ぶ。それは、ほとんどの手術に伴うリスクを患者に隠し通すことである。さらに彼らは、先輩の医者たちが医療ミスを犯しても互いにかばい合っていることを知り、不要で危険な治療を患者に押しつけることを覚える。これらの精神的重圧を受けるうちに、自分たちがかつては愛情をもって接していた病人が金の成る木″ に見 えてくるのだ。


 医学部の教授たちは、このような適者生存=@の過程のおかげでアメリカの医学界は世界でもっとも質の高い医療を国民に提供していると自慢する。はたしてそうだろうか。医者は内科的処置と外科的処置を数多く教わってはいるものの、患者への思いやりに欠けるという側面がある。
 もっとも適した者が生き残る。なるほど、それは事実だろう。しかし、医者が一体、何に適しているというのか。道徳と倫理観の破壊に抵抗する勇気を持ち、共感や誠実さ、勇気、知性に富んだもっともすぐれた若者を排除する冷酷なシステムのなかで勝ち残った人間、それが医者ではないのか。

 外科の研修を終了したばかりの駆け出しの医者は、過激な治療法こそが医療の神髄であると学ぶ。 残念なことに、患者の心の安らぎとか将来の健康はほとんど考慮されない。手術自体が目的と化してしまっているのだ。

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 不要な手術から身を守るための質問

 医者から「手術の必要があります」と言われたとき、どう対処すべきか? 急いで家に帰って入院の支度をする必要はない。全手術の八割は選択的である。
つまり、患者に選ぶ権利があるのだ。

医療では、数日間待ったために何かを失うことはほとんどない。もちろん、本当に生死にかかわる状況なら、そんな悠長なことは言ってられない。もし生死にかかわる状況なら、救急車のサイレンすら耳に入らないほどの重体であるはずだ。その場合は、決定は誰かほかの人が代行する。そういう緊急事態に迫られていな� �かぎり、決定までじっくり時間をかけたほうがいい。次に、たくさんの質問をして医者から本当の答えを聞き出す。
「まかせておけばよろしい」という返事にはぐらかされてはいけない。手始めに次の質問をする。

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一、「この手術は本当に必要なのですか?」           

  自分の病状についての詳しい説明を求め、どのような手術がそれを治せるのか、手術を受けた結果、肉体面と精神面にどのような影響が出ヤすいかを質問する。あいまいな答えしか返ってこないようであれば、別の医者に相談する。   

 二、「もし手術を受けなければどうなりますか?」               

 自分の病気が生死にかかわるような性質のものかどうか、手術を受けなければ肉体面に悪影響が出るかどうかを問いただす。 薬に副作用があるように、手術にも合併症や後遺症などの副作用がある。手術で生活の質が向上し、病気と同じかそれ以上にひどい副作用がないことを執刀医として保証できるかどうかを確認する。

 三、「より安く、よりリスクの小さい治療法はないのですか?」

 医者に手術以外の治療法をすべて教えてもらい、それぞれの結果を手術の結果とくらべてどのように違うかを説明してもらう。医者に説明の根拠となっている科学的研究や統計によって裏づけさせる。

 四、「この手術の死亡率はどれくらいですか?」

 患者には手術のリスクを事前に知っておく権利がある。何種類かのがん手術の場合、術後の生存年数によって死亡率を算出するが、それ以外のほとんどの手術では死亡率はかなり低いように思えるかもしれない。たとえば死亡率が一パーセント程度であれば、執刀医はもちろんのこと、患者もそれほど恐れる必要はないと思うかもしれない。しかし、手術以外の治療法でもほぼ同じ効果をもたらすのであれば、あえてそんな危険を冒す必要があるかどうかを考えなければならない。

 この質問の意図は、執刀医の技術を平均的な水準と比較することである。自分の技術に自信があるなら、正直に答えるはずだ。怒ったり返答を拒んだりするようであれば、要注意。別の医者に相談したほうが身のためだ。

 六、「先生は今までに何回くらいこの手術をおこないましたか?」

  何事でも、熟練した者のほうが技術が上である。自分が受けることになる手術は、その分野の経験豊富な医者に執刀してもらうべきだ。ハイレベルの技術を維持するには週に少なくとも一〇例の手術をする必要があると言う専門家もいる。

 七、「もし先生がわたしと同じ症状なら、この手術を受けますか?」

 医者は「イエス」と答えるだろう。そこで、医者がどれくらい誠実な気持ちでそう答えているかを見抜くことが課題となる。

 八、「先生が手術を受ける場合、誰に執刀を依頼しますか?」

 今までの質問に対する答えに満足できなかったとしても、この質問をすれば、相談に乗ってもらえる医者がもう一人見つかるかもしれない。

 九、「わたしがこの手術を受けて回復するのにどれくらい時間がかかりますか?」

 回復期間はどれくらいか、日常活動がどれくらい制約されるか、長期的副作用がどれくらい自分と自分の家族、あるいは仕事に影響を及ぼすかを考慮する。

 十、「手術の費用はどれくらいですか?」

 病院に行く前に手術料とそのあとの治療費、および入院費を知っておくべきだ。高額の検査は必要か。医療費の総額はどれくらいか。保険でどの程度までまか至るか。手術による利益が小さい場合、コスト面で割に合わないかもしれない。

十一、「手術を延期して、そのほかの治療法を最初に試してみてもいいですか?」

 今までの質問はこれと実質的に同じことを聞いているのだが、ら「ノー」という答えが返ってくれば怪しいもう一度聞いてみるべきだ。医者かI」ことが納得できるまで手術に同意してはいけない。延期して病状がかなり悪化しないかぎり、この質問は試してみる価値がある。

 以上の質問を医者にしておくことは、医者から事前に聞かされていなかった芳しくない結果が手術を受けたあとで出たときに役に立つ。

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 近年、医療訴訟の多発から「インフォームド・コンセント (十分な説明と同意)」 の法理が考え出された。

医者が手術のリスクと副作用について事前に十分な説明をしていなかった、手術を受けたのに医者が保証していた効果が得られなかった、避けられたはずの事態に陥ったという場合は、医者を告訴するのは正当なことだ。あらかじめ以上の質問をして医者の答えを詳細に記録しておけば、いざ訴訟となったときに役立つはずだ。

  
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