摂食障害-暴力・リストカット (シニフィアン研究所)埼玉県上尾市 精神分析 引きこもり 不登校 相談 カウンセリング 暴力 桶川 さいたま 大宮 栃木 茨城 千葉 群馬 大阪 和歌山
Φ はじめに
ようこそ、シニフィアン研究所へ!
日々、精神分析家として、心身の病、悩み苦しみを抱えた人々と向き合い、
ジャック・ラカンの理論を中心とする対話療法によって、
自ら気付き、運命を書き換え、仕合せになってゆくクライアントと共に
その喜びを共有しています。
精神分析を通じて、仕合せになってゆく多数のクライアントの姿を見て、
一人でも多くの方々に伝えたいと常々考えていますが、
非常にプライベートな内容であり、また守秘義務の観点から
なかなか症例として紹介できません。
そんな最中、あるクライアント(Aさんとお母さん)から一定の変更をした上で、
同じような悩みや苦しみを抱えている人の参考になるのなら
是非自分たちのことを伝えてほしいとの申し出があり、
その承諾の元に紹介することとなりました。
まずは、簡単に紹介します。
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Aさんは、小学校2年生から学校へ行きたくないと言い始め、
不登校となって引きこもり、中学生になっても行ったり行かなかったりする中、
過食・拒食・暴力・リストカットを繰り返しながらも、
高校へ進学すると言い始め、バイトもしながら6年かけて卒業、
その後、自分の力で就職先を探し、親元を離れて自立しました。
現在は、20代のオシャレを楽しむ明るく素敵なお嬢さんです。
そのAさんが当時の長い暗闇時代を振り返ってこう言いました。
「お母さんのお腹の中からやり直したかった。お母さんのお腹の中は、
最初、血の海だったけど、だんだん透明になって明るくなり、
最後は暖かい太陽の日差しが降り注ぎ、私は気持ちよく泳いでいました。
長い長い時間でしたが、私にはその時間が必要だったのです。
先生と出会っていなければ、きっと私は死んでいたと思います。」
Aさんが不登校をし、家に引きこもり、過食と拒食を繰り返し、
暴力、リストカットをしました。
その体重差は最高45キロだそうです。
スリムな大人の女性一人分の体重です。
お母さんは当時を振り返って
「何で、明るかったあの子が?」
「自分の育て方のどこが悪かったのだろう?」
「いっそこの子と・・・・」
「何度思いつめ、自分を責め、血の涙を流したかわかりません」
「ある日、骨と薄い肉と皮だけの娘の側に近寄ると何とも言えない臭いがしました。
きっとあれを死臭と言うのでしょう」
と語り
「分析と出会っていなければ、今頃は、私も娘も生きていなかったでしょう」
と結びました。
Aさんやその家族の辛さ、苦しみは言葉では語り尽くせないものでしょう。
それでも、同じような悩み、苦しみを抱えている方の参考になればと、
HPに掲載することを快諾してくれたことに深く感謝します。
続いて、内容の一部変更をし、Aさんと家族が歩んだ10余年の道のりを紹介したいと思います。
自分と向き合い、語ることによって、必ず仕合せの光が見えてきます。
そして、その光を目指して歩めば、必ず仕合せになります。
諦めずに、共に歩みましょう!
少しの勇気と決意があればよいのです。
興味や関心を持たれた方、質問や相談されたい方、
まずはこちらまで連絡ください。
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1)Φ 不登校、そして引きこもり
まず最初、Aさんのお母さんと出会いました。
そのとき、Aさんは小学校4年生ですでに「不登校児」でした。
もちろんAさんのお母さんは心配して、本やHPを読んだり、学校の先生に相談したり、
相談所へ行ったり講演を聞いたりしたそうですが、納得できず
悩んでいたところ、知り合いのクライアントの紹介で私の所へ来られました。
Aさんの家族は、会社員の父と専業主婦の母と3歳年上の姉の4人家族で、
特に大きな問題もなく、こく普通の家族です。
Aさんは、赤ちゃんの頃からごく普通の子どもで、特に何の問題もなく
スクスクと成長し、小学生になりました。
お母さんいわく
「赤ちゃんの時からよく寝て(サイレントベビー)、人見知りもしない、手のかからない良い子でした。」
このことが、後に大きな問題である事が分かってきました。
不登校になったのは、小学校2年生の夏休み明けからだったそうです。
・朝起こしても、なかなか起きない
・朝ごはんを食べたら、お腹が痛いと言ってトイレから出てこない
・頭が痛いと言う
こんなことが続いて、お母さんが学校へ送って行ったりなどの途中経過を経て
とうとう2年生の3学期から、まったく学校へ行かなくなりました。
昼夜逆転し、お風呂にも入らず、ゴロゴロばかりするようになりました。
出かけるのは、暗くなった夜、近くのコンビへ行き、
お菓子やアイスを買い込んできます。
時には、好きなものを山のように買い込んだこともあったようです。
☆ 不登校・引きこもりのキッカケは何だったのでしょう?
きっかけは、同級生の男の子から冗談で「ブタ」と言われたからだそうです。
小学生のAさんは、少しぽっちゃりしていたそうですが、
そんなに太っていた訳ではなかったのです。
確かに、言われたAさんは乙女心を傷つけられたことでしょう。
でも「それは、きっかけに過ぎなかった。学校を休む理由が欲しかったのです。」
とAさんは当時を振り返って言いました。
小頭症の写真
Aさんは、学校を休みたかったのですが、言えなかったのです。
だから、「いじめ」という口実を作り出したのです。
それまで「良い子」を演じて頑張ってきましたが、もう息切れ情態だったのです。
不登校や引きこもりの子どもさんに聞いてみると、
皆さん、同じような理由がきっかけだったと言います。
「いじめ」「給食」「行事」「休み明け」「進級」など
☆ なぜ、そんなに頑張ってきたのでしょう?
それは「お母さんの喜ぶ顔が見たかったから」とAさんはつぶやきました。
お母さんの期待に応えたいと思い、そして、お母さんに誉めてもらいたかったのです。
子どもにとってお母さんは特別な存在なのです。
☆ 不登校・引きこもりで何を言いたかったのでしょう?
「もう一度、お母さんのお腹の中からやりなおしたかった」
「もっと、お母さんに甘えたかった」
「お母さんを独り占めしたかった」
と、彼女は語りました。
「どんな私でも受け入れてくれるか試したかった」
「もうお母さんの良い子をすることに疲れた」
「お母さんの操り人形になるのが嫌になった」
とも、言いました。
◆お母さんの対応の仕方(インテグレーターからのアドバイス)
① 子どものすべてを承認すること
『何を言っても、すぐに「はい」と返事して行動すること(オールOK)』
例えば
子ども「お母さん、ジュースちょうだい」
お母さん「はい」と言って、すぐにジュースを出すことです。
決して「今忙しいから後でね」
「ジュースばかり飲んでないで、牛乳にしなさい」
「自分で取りなさい」
とは言わないことです。
② 裁判官や警察官にならないこと(問い詰めない、責めない)
「何で学校へ行かないの、学校へ行くのがあなたの仕事よ」
「みんな行っているのに、何で行かないの!なまけちゃダメ」
「マンガやゲームしてる暇があるなら、勉強しなさい」
などと言わないことです。
以上の二つをAさんのお母さんに守ってもらいました。
そうすると
Aさんは次から次へと要求するようになり、
「くそババア!」と呼び捨てにしながらお母さんを振り回すようになりました。
お母さんは「こんな毎日がいつまで続くのだろう?!」
と、不安になったと言いました。
そして、インテグレーターに
「こんな状態で本当に大丈夫でしょうか?」
と毎回、心配そうに尋ねました。
それでも、「それで良いのですよ」「くそババアよ言われたら一人前ですよ」
とのインテグレーターの言葉を信じて半年間やり続けました。
そうしたら、どうでしょう。
Aさんは、徐々に必要な時に、必要な事だけを要求するようになりました。
そして、
お母さんに対する呼び方も
「くそババア」から「ママン」へ、そして「お母さん」へと変化していきました。
お母さんは当時を振り返り
『私も、実は自分の母親に「くそババア」と言いたかったんです。
でも、とてもそんな言葉は言えませんでした。
想像するのも恐ろしいくらいです。』とポツリと言いました。
叫びたくても叫べなかったお母さん自身の心の叫びを、Aさんも叫んでいたことになります。
「くそババア」と言える娘が羨ましいです」
とセラピーでお母さんはポツリとつぶやきました。
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2)Φ 過食と拒食と暴力
Aさんは、引きこもるようになってから日を追うごとに、昼夜逆転し、
ゴロゴロ寝転がりながらお菓子を抱え込んで食べはじめました。
三食はもちろんのこと、ジュースとお菓子が手放せなくなりました。
お菓子に囲まれていると「幸せな気分」になったそうです。
当然ながら、体重はうなぎのぼりに増えてゆきましたが、
Aさんは、一向に気にする気配はなかったようです。
食べても食べても満足は無かったと言います。
まさしく「底なしの樽」です。
通常では考えられないことですが、
Aさんはまさしく「母の代理物」を食べていたのです。
しかし、お菓子やジュースは「母」ではありません。
ですから、永遠に満足することはないのです。
小学校の高学年から始まった過食は、中学生でピークを迎えます。
最高体重は82キロだそうです。
ちなみにこの頃の身長は158センチだったとか。
後に、Aさんは当時の自分を振り返り
「肥えて大きくなれば、お母さんの視界に入るかもしれないと思った」
と語りました。
この言葉から、
Aさんの過食の意味が明らかになります。
それほどAさんはお母さんに眼差しを向けてもらいたいと思っていたのです。
ところが、ある時を境に、一気に拒食に転じます。
中学生になっていたAさんは、
「可愛いブラジャーなどの下着が付けられない」ことに気がついたのです。
Aさんが身に付けられるのは「おばさんの下着」しかなかった。
『私も、モデルさんのような可愛い下着を付けたい』
そう思った時から、生の野菜と水しか受け付けなくなりました。
最初はなかなか効果がなかったようですが、
一ヶ月近く経った頃、日毎に体重が減り
『毎日体重計に乗るのが楽しみだった』そうです。
そして
拒食のピークは37キロ。
もちろん生理は止まり、歩くとふらつき
少しの風にも飛ばされそうになったといいます。
また、お母さんが心配して
「食べ過ぎるんじゃない?」
と言うと
「黙れ!うるさいんじゃ!勝手だろが!」
南東痛みのケア
お母さんが初めて聞くAさんの暴言でした。
それからは、お母さんがちょっとでも意見を言うと
「うるさい!くそババア」
と言うようになり
直接、お母さんに暴力は振るわないものの
タンスや壁やふすまを叩いて、穴をあけたり、へこませたりするようになりました。
◆ お母さんの対応
お母さんには
「これはまだ始まりです。これから色々表現しますから覚悟しておいてくださいね。」
「でも、何をしても大丈夫ですから、娘さんを信じて見守ってあげてくださいね」
とセラピーの度に話していました。
当然ながら、目の前のAさんの言動にお母さんは翻弄されます。
過食の時も、拒食の時も、心配したのは当然です。
過食の時は
「そんなに食べてばかりいたら、お腹こわすから止めておきなさい」と言い
拒食の時は
「野菜だけだと栄養失調になるから、もっと他のものも食べなさい」と言う。
心配のあまりとは言え、矛盾した対応ばかりでした。
そんなお母さんの態度に
Aさんは怒りを暴力と言う形で、表現するようになります。
インテグレーターは「一貫して何も言わないこと、オールOKすること」を
お母さんにアドバイスしました。
なぜなら、Aさんがお母さんに求めている事が分かっていたからです。
「こんな私でも、お母さんは見捨てないだろうか?」
つまり、お母さんを試していたのです。
Aさんのお母さんは失敗をしながらも努力し続けました。
そんなある時
Aさんはお母さんに、ニッコリ笑ってくれたそうです。
でもお母さんはそのAさんの笑顔を見て「背筋が凍った」そうです。
なぜなら、
あの有名な「ムンクの叫び」の顔そっくりだったからです。
後に、お母さんは語りました。
「トリガラのように骨と皮だけの娘の姿を見て、これがあのぽちゃりとした
可愛い娘の姿だろうか!
他所の娘さんたちは溌剌として、綺麗で輝いているのに
わが子はこんなに痩せて、、、
私のドコが悪かったのだろうか?育て方を間違ったのだろうか?
と、どれほど自分を責め、こんない辛い想いをするのなら
いっそ、娘と共に死んでしまおうか、と何度思ったかしれません。
でも、先生の言う事を信じて、もうちょっと頑張ってみよう!
と必死の想いで頑張りました。」
これで終わりではありませんでした。
一貫しないお母さんの対応に、Aさんはやがてリストカットをするようになります。
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3)Φ リストカット(自傷行為)
中学生になった頃から、新たに加わったこと
それは「リストカット(自傷行為)」でした。
外への暴力が、自分へと向け換えたと言えるでしょう。
きっかけは「もう覚えていない」とのことでした。
気がついたらカッターで切っていたとのことです。
「痛くなかったの?」
と聞くと
「さあ、特に感じなかったわ」
とのこと
赤く滲んでくる血を見ていたら
「現実の世界へ戻ってきた気がした」
「何の感情もなく、眺めてた」
「蚊に刺されてカユイ時に、切るとかゆみがマシになるのよね」
こんなことをAさんは語った。
中学を卒業したAさんは定時制の高校に入学します。
お母さんは驚いたそうです。
高校には行かないだろうと覚悟をきめていたからです。
Aさんに聞くと
「やっぱり高校には行きたかったから」と言いました。
進学した高校も休みがちとなりましたが
次第に、Aさんにある変化が見え始めました。
お母さんと買い物に出かけ時、スーパーのパート募集の張り紙を見て
「私もバイトしようかな・・・・・」
と言ったのです。
そして、ある日突然
『お母さん 私面接受けてきたから、電話かかってくるかもしれないからね』
と報告したそうです。
そして、最初は週に2日3時間のパートの仕事を始めました。
お母さんが喜んだのは当然です。
しかし,続くかどうか心配だったのも事実だったと、後に言われました。
ホッとしたのもつかの間
先輩従業員の人に注意されたことから
バイトに行くたびにリストカットをするようになり、
腕に包帯を巻いて長袖を着て行くようになりました。
洗面所のシンクタンクが度々、
Aさんの真っ赤な血で染まっていたそうです。
ストレスを「暴力」から「リストカット」と言う方法で解消していたのです。
それと同時に、切ることで感じる痛みと血の色を見ることで
「自分が現実に降りてきて、生きている自分を感じていた」
それほど
Aさんは自分が生きている実感を持てなかったのです。
サイレントベイビー(よく寝て泣かない手のかからない赤ちゃん)だったから
痛みという刺激を与えることで、自分の身体があることを刻印していたのです。
今時ならきっと「入れ墨」をしていたことでしょう。
別名「マーキング」と言います。
母に見捨てられた人達が、
永遠に消えない刻印を自らの身体にマーキングするのが「入れ墨」だと言えるでしょう。
重量損失リッチフィールド
手首に留まらず、だんだんその範囲は拡大してゆきます。
胸にまで及んだこともありました。
今でも手首にはその痕跡が「白く」残っていると見せてくれました。
「切れないカッターで切ると痛いんだよねえ、よく切れるカッターでないとね!」
と、笑いながら語ってくれました。
そんなAさんの前に一人の男性が現れました。
それを機にリストカットは消えてゆきました。
◆ お母さんの対応
この頃になると、まだまだ心配や不安はあるものの
お母さんもAさんの心を理解し、見守ることができるようになってきました。
インテグレーターは
≪「リストカット」は、『死への戯れ』とも言われ
自殺に発展する可能性は低いから大丈夫ですよ≫
とアドバイスをしていました。
その言葉をお母さんは信じることができ
あわてず、Aさんがバイトをするようになったことを共に喜び
見守ることができるようになりました。
それからは
お母さん自身が、Aさんの言動に一喜一憂しなくなりました。
この頃のことをお母さんに聞くと
「自分の子どもを信じよう!と心の底から思えるようになった」
「ここまで失敗しながらもやってこれたのだから、それが自信となりました」
と笑顔で話してくれました。
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4)Φ 異性との出会いー新たな自分の発見
バイトも順調に続き、周りからの温かい理解に支えられ
居なくてはならない存在へとなってゆきました。
それが一つの自信となり、やがて6年かけて高校も卒業するに至ります。
そんな時
バイト関係で知り合った男性とお付き合いするようになります。
初めて「彼氏」ができたのです。
「やったあ!私にも彼氏ができた!」
と、ただその事実が最高に嬉しかったとAさんは語りました。
それをきっかけに
ますます自分が女性であること
認められることの喜びを味わうようになったと言います。
いつの間にかリストカットもしなくなり、
おしゃれを楽しむ素敵な女性へと変わってゆきました。
成人して高校も無事卒業し、
バイトも順調で、彼氏もでき、また、別れも体験しましたが
お母さんと一緒に夕食を作り、買い物にも行くようになりました。
体重も56キロまで回復しましたが
偏食は続き、「食」にはまだこだわりが残っていました。
セラピーを通して
「まだまだ、母にこだわりを持っていること」
「母を求めているけど、反面反発や怒りがあること」
「母への怒りを表現することが怖いこと」
などをインテグレーターに語ることができるようになりました。
何度かのセラピーの後
ある日、ついに
母への不満を言葉で言うことができるようになります。
「自分がどんなに寂しい想いをしてきたか」
「どんなに悲しい想いをしてきたか」
「過食、拒食、リストカットをしてきたのは、少しでもお母さんに注目してもらいたかったから」etc
胸の内をぶつけることができたそうです。
「長い年、胸の中にわだかまっていたものが消えた気がした」
とAさんは輝いた瞳でインテグレーターに語りました。
そして、その後しばらくして
「私は家を出て一人暮らしがしたい」
と、言い始めました。
インテグレーターは
その彼女の言葉を聞いて、やっと前を向いて歩き始めたことを確信しました。
◆お母さんの対応
Aさんへの対応も順調にできるようになり、
それと平行して、お母さん自身の秘めた母への想いも語るようになりました。
Aさんが心の内を語れるようになり、
それを受け止める中で、
「娘が様々な問題を次から次へと起こしてくれたお陰で、自分の中の母にも向き合えるようになりました。
それはとても辛い作業ですが、喜びでもあります。」
と語り、精神分析を通して自分を知る喜びも同時に味わったと言いました。
お母さんはAさんへの対応だけではなく
自分自身を知るセラピーも同時に受けていました。
そのことで、様々なAさんの問題にも向き合う覚悟が持てたと語ってくれました。
Aさんと二人で作る夕食の時間は、とっても楽しみになったそうです。
買い物に出かける時間は、まるで姉妹で歩いているかのような気分で
お母さんの服装もとってもおしゃれなものに変化してゆきました。
母娘で楽しむことの喜びを実感できたこと。
娘を持って良かったと感じたこと。
大人の女同士としての喜びも味わえたことを、一気に報告してくれました。
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5)Φ 自立(自律)=母からの旅立ち
自立に向かってAさんは準備をするようになります。
その第一歩は
「バイト先の店長に辞めると言う」
これは、案外エネルギーが要ることが分かってきました。
なぜなら、なかなか言い出せなかったからです。
Aさんにとって、バイト先は「家族」のようなものだったので
その場所を辞めること=分離不安を湧き上がらせることになったようです。
誰にとっても「馴染みがあること」から離れることは
少なからずの「不安」を掻き立てます。
Aさんもそうでした。
しかし
インテグレーターがそのことを語ると、
Aさんは迅速に決断しました。
「私、明日店長に言います!」と。
それからのAさんの行動には、目を見張るものがありました。
店長に「辞めます」とはっきり伝え、
一ヵ月後に皆に祝福されながら、笑顔でバイト先を離れたそうです。
その一ヵ月後
自分で転出先を決め、アパートを捜し、
長らく住んだ親元を初めて離れて行きました。
インテグレーターにも笑顔で報告してくれました。
「長い時間でしたが、私には必要な時間でした。今までは暗いトンネルの中を彷徨って
どこを目指して進んでよいか、全くわかりませんでした。
でも、先生と出会って、やっと未来が明るく見えてきました。
もう、母では物足りません。
これからは、一人暮らしを謳歌します。ありがとうございました。」
彼女と出会って、10年が経っていました。
長かったようにも感じられますが、
今では、とっても素直な素敵な女性へと成長しています。
他府県へと旅立って行った彼女ですが、
今では仕事先も決め、止まった時を取り戻すかのように
毎日が楽しく、まさしく「ばら色に輝いている」そうです。
◆ お母さんの反応
誰よりもお母さんが一番喜んだことは、言うまでもありません。
Aさんが「不登校」になってから、どれだけの年月が経ったことでしょう。
その間、どれだけ自分を責めたことでしょう。
どれだけ、誰にも言えず、苦しみ悩んだことでしょう。
そんな最中、インテグレーターと出会い、
インテグレーターを信じ、ひたすらAさんに向き合い続けたことが
今の安心と喜びに繋がったと語られました。
お母さんは一所懸命、Aさんのためを思ってしてきたのに、
Aさんにとっては、それが迷惑であり、時には過干渉と感じ、
束縛されていると感じていたことに気付きました。
その母の想いが、Aさんの心を閉じ込めてしまっていたのです。
Aさんが「不登校」から「摂食障害」「リストカット」などをしたことで、
お母さんが自分自身を振り返り、
逆に、お母さん自身が長い間、自分の母への想いを心の内に秘めていたことを
Aさんが教えてくれたんだと気付きました。
『子どもの問題は、私の問題でもあったんですね。』
『娘は、自分の身体(命)を使って、私に教えてくれたんですね!』
『精神分析と出会っていなければ、どうなっていたか分かりません。
ひょっとしたら、今頃、娘も私もこの世に居なかったかもしれません』
と、Aさんのお母さんは語りました。
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6)Φ 振り返って
「Aさんとお母さん」との出会いを振り返って
痛感することがあります。
それは、ほとんどすべてのクライアントに共通すると感じます。
【すべての人の心の基盤は、母が作る】
ということです。
幼少期の子どもから、成人した大人の言動や心身の症状、悩み、苦しみを通して
最終的に「母への叫び」が聴こえてきます。
それが基盤となって積み重なり
後に、何らかのキッカケで形を変えて表面化してきます。
それが広義の「症状」と呼ばれるものだと思います。
Aさんも、またお母さんも共に
我が母に叫んでいたことに向き合う覚悟をし、
Aさんはお母さんに
お母さんは、そのまたお母さんに叫んでいたことに気付きました。
だれが原因でも、悪いのでもなく
もし、あるとしたら
どの代のお母さんも子どもも、誰一人気付かなかった
そのことが一番の原因です。
叫んでいる本人も
『自分が何を叫んでいるのか』を知らない。
だから母も周りも気付かないのです。
行動や心身の症状だけが
『早く気付いて!!』
と、血の涙を流しながら叫んでいる。
Aさんは
「不登校」「暴力」「過食」「拒食」「リストカット」などを通して叫んでいました。
【お母さん、私だけを見て!】
【お母さん、わたしの言うことをもっと聞いて!】
【お母さん、もっと私を抱き締めて!】
【お母さん、本当は寂しいのよ!】
【お母さん!お母さん!お母さん!私の叫びが聴こえないの?】
その声を聴く「勇気」と「根気」を持ち続けたAさんのお母さんは
『娘のお陰で、私も共に成長することができました。
何があっても、諦めずに娘と向き合ってきて良かったとつくづく感じます。』
と語りました。
Aさんだけが特別ではないと思います。
世の中の『良い子』が同じように叫んでいる。
子どもは、お母さんが世界中で、誰よりも大好きなのです。
人は皆、同じように叫んでいた(今も叫んでいる)はずです。
目を閉じて、そっと心の声を聴いてみませんか?
どんな声が聴こえてくるでしょうか?
その叫びを聴くのが「インテグレーター」です。
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